豊洲ストーリー
明治時代、そこは海だった。
そんな海の一角が、現在のような都内でも有数の注目スポットとなった礎が築かれたのは、大正後期から昭和にかけて。明治政府が隅田川河口改良工事の一環として、大正年間も引き継がれた埋め立て事業により、この土地は生まれました。
1939(昭和14)年、この地に東京石川島造船所 第二工場設立され、以後、造船工場をはじめ、多くの工場が立ち並ぶ工業地帯としての歴史を刻みます。
そして終戦後、1956(昭和31)年には東京ガス豊洲工場が、その翌々年1958(昭和33)年には東京電力新東京火力発電所が操業。
高度経済成長を支える産業立地として埋め立てはさらに拡大し、またそれらの産業に従事する人々などで賑わうようになりました。
画期的な出来事のひとつとして、日本初のコンビニエンスストアともいわれる「セブンイレブン」第一号店が1974(昭和49)年に開店。
また、1988(昭和63)年には地下鉄有楽町線・豊洲駅が完成し、「海沿いの工場エリア」から次第に「ひとつの生活エリア」としての様相が色濃くなってきたのもこの時期です。
現在、石川島播磨重工跡地は「アーバンドック」として大型商業施設がオープン。東京中央卸売市場(築地市場)は2015年を目処に移転する予定です。
さらに2006(平成18)年にはゆりかもめ豊洲駅が誕生し、新橋やお台場、江東区のベイエリアへのアクセスが格段に飛躍しました。
また都市部へのアクセスも良いことから、ウォーターフロントの高層マンションが林立し、都内でも人気のオシャレエリアとしても知られるようになりました。
かつて海を埋め立て、日本の造船産業の発展に大きく貢献した豊洲は、時を経て、様々な要素を取り入れた臨海の注目エリアとして、日々、進化しています。